クリスマスはボランティア - 2012.12.25 Tue
私のウクレレ活動は"Ukulelians"の一員として、そしてもう一つは"Ka Makani"と呼ぶ少人数のウクレレバンドの二つである。"Ka Makani"とは、ハワイ特有の爽やかな風のことを意味するらしいが、実はハワイにまだ行ったことのない私が名づけたのである。このバンド、懐メロ中心に幅広いジャンルで自分たちの気に入った曲を毎週楽しく練習しているが、その成果を試すこともあり、月に1回、地域のデイサービス施設の慰問に訪れている。あまり上手くない私たちの演奏でも、お年寄りの皆さんはとても楽しんでくれている。今日はクリスマス曲も含めて17曲も演奏し、懐かしい歌をみんなで歌った。最後に施設側から予期せず感謝状をいただくことになり、こちらが感謝したくなった。皆さん聞いていただいてどうもありがとう。また練習して来年1月もここにやってきます。






昨日は我家のクリスマス - 2012.12.24 Mon
ハイドパークと米軍ハウス - 2012.12.05 Wed
今日は地元の話。
近くの稲荷山公園にAbbey君を連れて散歩によく出かける。春は桜の名所で賑わうが、普段は人も少なく静かな公園で、現在の航空自衛隊入間基地に隣接している。

この入間基地は、その昔は陸軍航空士官学校で、戦後は米軍のジョンソン基地となった。その昭和21年当時、この公園には米軍将校用の住宅が244戸も建設されていたらしく、それはハイドパークと名付けられていた。今はその面影もないが、当時の様子が公園横の博物館で展示されている。当時の展示写真を見るとジョンソン基地とハイドパークで繰り広げられていた生活がとても豊かな感じで、基地内は映画館、スーパーマーケット、野球場、プールがあり、カーニバルや様々なパーティーなどが行われていた。ハイドパークを再現したジオラマを見ていたら、当時の生活を想像してタイムトリップしたくなる。ハイドパーク周辺にも一般兵士用の2DK住宅が建設され、基地返還後はこの米軍ハウスに憧れた若者が移り住み、音楽関係では細野晴臣や松任谷正隆、小坂忠らがここを拠点に活動していた。

博物館に展示されていたハイドパークのジオラマ。可愛いスクールバスが
走っており、当時の国内とは別世界の豊かな暮らしが展開されていたのだろう。

今回の企画展のパンフレットはなかなか魅力的なイラスト。
狭山市立博物館で1月中旬まで展示。

一般兵士用の2DK住宅が昭和31年にハイドパーク周辺に建てられており、
今回は一部が見学可能。当時の家賃は100ドルだったそうだ。
ジョンソン基地返還後に日本人にも貸し出され、賃料は28,000円だったとのこと。
内部の写真を撮らせてもらった。


下のバスタブはタイルで作られており、背もたれ部分が曲線になっていた。

このハウスを見学していて、独身時代に福生の米軍ハウスに住んでいたことを思い出した。近くに大滝詠一が住んでいて、時々見かけたが当時は日本のアパートよりも、デザイン的にカッコいい米軍ハウスに若者は住みたかったのだ。
ハイドパークが賑やかだったころのこの地域はどんな感じだったろう。実は昔の方が活気があり国際的な雰囲気があったのかもしれない。それに比べると、現在の街はどうだろうか。
近くの稲荷山公園にAbbey君を連れて散歩によく出かける。春は桜の名所で賑わうが、普段は人も少なく静かな公園で、現在の航空自衛隊入間基地に隣接している。

この入間基地は、その昔は陸軍航空士官学校で、戦後は米軍のジョンソン基地となった。その昭和21年当時、この公園には米軍将校用の住宅が244戸も建設されていたらしく、それはハイドパークと名付けられていた。今はその面影もないが、当時の様子が公園横の博物館で展示されている。当時の展示写真を見るとジョンソン基地とハイドパークで繰り広げられていた生活がとても豊かな感じで、基地内は映画館、スーパーマーケット、野球場、プールがあり、カーニバルや様々なパーティーなどが行われていた。ハイドパークを再現したジオラマを見ていたら、当時の生活を想像してタイムトリップしたくなる。ハイドパーク周辺にも一般兵士用の2DK住宅が建設され、基地返還後はこの米軍ハウスに憧れた若者が移り住み、音楽関係では細野晴臣や松任谷正隆、小坂忠らがここを拠点に活動していた。

博物館に展示されていたハイドパークのジオラマ。可愛いスクールバスが
走っており、当時の国内とは別世界の豊かな暮らしが展開されていたのだろう。

今回の企画展のパンフレットはなかなか魅力的なイラスト。
狭山市立博物館で1月中旬まで展示。

一般兵士用の2DK住宅が昭和31年にハイドパーク周辺に建てられており、
今回は一部が見学可能。当時の家賃は100ドルだったそうだ。
ジョンソン基地返還後に日本人にも貸し出され、賃料は28,000円だったとのこと。
内部の写真を撮らせてもらった。


下のバスタブはタイルで作られており、背もたれ部分が曲線になっていた。

このハウスを見学していて、独身時代に福生の米軍ハウスに住んでいたことを思い出した。近くに大滝詠一が住んでいて、時々見かけたが当時は日本のアパートよりも、デザイン的にカッコいい米軍ハウスに若者は住みたかったのだ。
ハイドパークが賑やかだったころのこの地域はどんな感じだったろう。実は昔の方が活気があり国際的な雰囲気があったのかもしれない。それに比べると、現在の街はどうだろうか。